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11月30日(52日目)

昨日から3泊4日の外泊に入り、暇をもてあそばせていたが、家に帰るとやっぱり色々やりたくなる。
程々にしないと疲れてしまうので気を付けないと(*゚-゚)
今日は整体に来ています。

高校の後輩で思いっきりやってもらえるのがいいんだよなー\\\\└('ω')┘////
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11月28日(入院50日目)

とうとう入院50日目を向かえた。
病状はかなりいい感じだ。夜は熟睡できたし目覚めの気分もかなり良い。
今日は、午後からカウンセリングの日だ。午前中をどう過ごそうかな?
結局切り絵とブログの更新って感じ。

画像が逆さまだけどこのくらい進んだ。大きいところを結構やったんだけどね(TT)

午後からのカウンセリングでは、毎回泣かされてきたが今日は泣かなかったぞ(^O^)

明日からは、3泊4日で自宅に外泊するんだ、これで問題なければ退院近しヽ(;▽;)ノ
今にでも退院したいよ~

そうだ、この季節がやってきた、インフルエンザの予防接種(>_<)
初めてやったよ(°д°) ちょい痛でした。

もう少しで夕食だけど、献立はなんだろうかな?

11月27日(49日目)

今日は、午後から床屋に行ってきた。( ´▽`)
さっぱりした。ぜんかいあまりにも坊主にしてしまって
今回はトップを残したよ(^_^)

今日の朝は、時々お日様が出てたんだけど、午後からは雨だった。なんか夜は雪らしいぞ(´;ω;`)
昨日の先生との問診で、この次の外泊が問題なければ退院も視野に入れて行きましょうと言われ、今週末に3泊4日の卒業試験が待っている。早くおうちに帰りたいよう(-.-;)

心が晴れない闘病記5

入院患者と病棟の人々(住民編)

そういえば、自分の紹介しいていなかったですね(´・_・`)
37歳、男性、妻とは結婚して5年、子供は3歳
こんなところですね。高校を卒業して今の仕事をしている。

さすが、精神病院の病棟である。
さまざまな人達が入院したり働いている。
入院後、始めて対応してくれた看護婦さんは、関西弁混じりの年配の女性だった。嘱託の職員と思われる。
同室の入院患者(以下住民)Sさんから聞いたんだがどこか前に何年か住んでいた関西のなまりが抜けないらしい。

これから、の情報はSさんからの情報が多い。というのもなんと入院歴がなんと5年を超えてしまったらしい。しかし、他にも、もっと長い人は10年を超える人も少なくないらしいんだ。
Sさんは自分が入院した頃には、よく電話をしていた。相手は、前にここに入院していて仲良くなった女性らしい。その女性と電話するために携帯を買ったらしい。彼の病気は俺と同じ「うつ病」で、自分よりもかなり重症らしい。今はやっと薬が合ったらしく調子がいいらしいが、ひとつ問題を抱えていた。婦長からの退院勧告!!
彼自身はもっとこの病院に入院していたいらしいが、就労支援施設に行くことがつい最近決まった。
本当は行きたくないらしいが、他の施設(グループホーム)とかアパート暮らしとかいろいろ考えているらしい。
最終目的はグループホームだそうだ。
2人部屋で彼にはお大変世話になったのでこれからの彼の検討を祈りたい。

主な他の住民の、Iさん、Oさん、Gさん、KNさん、Nさん、Kさん、Sさん、Tさん、Hさん、IRさん、TYさん、Kくんを紹介しよう。女性陣はあまりよく把握していないので割愛しま~す。
まずは、Iさんは、62歳らしいいつもホールでエレキギターでベンチャーズを弾いたり、女性に囲まれ話をしたりしている。
次に、Oさんは48歳、いつも挙動不信。靴のかかとを潰して履いている。自分が喫煙室でたばこを吸っていると、逃げていく。この前初めて入ってきて、ビックリした(*'×'*)
それから、Gさん小太りで、まさにピグモン(>_<)しかし元気で、歩くのが早い。ウオーキングの時いつも越される。
つぎは、KNさんは、50位だろうか、スポーツ刈りでチョットかっこいい(^_^;)
それから、Nさんは、せっかちおやじ食事を食べ終わるのが一番早い、ごみ捨てなどいろいろ手伝うのだがせっかちすぎていつも関西弁看護婦に怒られている(゚∀゚)
次は、Kさんこの人は、見た目は親分自分の席からほとんど離れない、後はTVの席の前にいるか別途に寝ている。
そてぞれ病気を持っているから入院しているのはあたりまえですが、精神科だけにみんなの行動がおもしろい。
そしてSさんは、初めて別の部屋の住民で声をかけられた。ウオーキングをしている時に、いろいろ聞かれた。ふたんは、廊下やホールの付近を常にウロウロしている。
それから、Tさんは、腰が横に曲がって大変そうだ。Sさんが入った頃は、それほどでもないと言っていた。それに受けるのが夕食後に1時間は、ヒゲ剃りしていてそんなにそっったら、顔がなくなりそうな勢いで剃っている(笑)
そしてHさんは、掃除の番人!!いつも床を掃いたり、テーブルを拭いたりしている。おかげさまで綺麗な環境で過ごすことができる。
そしてIRさんは、歩行機を使っている痴呆老人かと思われるいつも別途に寝ているが意外と動きは俊敏で時々、調子に乗って転倒しているみたいだ(´・_・`)
以上は、自分が入院していた時には既に入院していた。次からは新人さん初めにTRさんは、眉毛が細くいかつい感じで元テキ屋ってかんじ。。。まだ話したことない。というかほとんどの人と話はしていない。奥さん?は妊娠しているらしい。
最後に Kくんかなり若い自分よりも年下は間違いない。30くらいかな~母親らしき人は、フィリピン人みたいだった。体も全身、黒かったから間違いないだろう。妻子持ちで時々子供も面会に来ている。結構イケメン

これまでの住民は特長のある人物で、他の人たちは至って普通な感じだ。男性だけで16人女性と合わせて30人位の病棟だろう。

看護婦さんたちについては、次の闘病記で

11月26日(入院48日目)



おはようございます!!!
今日の朝は、晴れ間が見える。自分の病気も晴れてくれるといいいな~

さて、今日は何にようかな?
そうだ、今日は、週に2回のお風呂の日だったヽ(;▽;)ノ女性1が先だから10時半位になるかな。

それまで闘病記書いて、午後からは作業療法(今はパズルをやっている)
今やっているパズルは2000ピースのディズニーのパズルで、自分は途中参加だが、残すところ70ピースくらい。
完成間近だ( ̄▽ ̄)

今日は、こんな一日になりそうだよ!!

昼食のメニューがジャンキーだった(`・ω・´)スッ、スゲー!!Σ(゚Д゚ )
チーズバーガー、冷たいフライドポテト、ナポリタンにコーヒー牛乳、おまけに今川焼

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11月25日(入院47日目)

今日の天気もぱっとしない。雨が降ったり止んだり風も時々強くなり、昼寝にもってこいだった。( ̄ー ̄)

今日は何しようななと、朝食前に考える。特別なイベントのない月曜日、どうしよう、、、、、

朝食後、切り絵をやることにした。
切り絵は、妻が買ってきてくれた本を参考に初めて挑戦した。

この作品は、数日前に半日かかって完成した処女作品ヽ(;▽;)ノ
ミッキーのしっぽが半分切れちゃっった~~


今はこの作品に挑戦している(>_<)むずかしー

今日はイマイチ調子が出なくて30分くらいで切り上げた。

次に闘病記の続きに取り掛かった。次は、いろんな薬を出されて調子が悪くなった医者の話でも書こうと思い書き始めたが、こてまたイマイチ調子が出なかったので、外出することにした。

銀行に妻としている旅行積立を入金しに行って、自宅に昨日届いた例の育毛剤を取りに行って帰ってきた。


午後からは、食後直ぐに昼寝した。
1時間は眠っていたかもしれない。気持ちよかった(^O^)

それからは、闘病記を書いたり、アロマの本を眺めたり、ぶらぶらしたりと言った一日だった。

今は19時就寝までまだ時間があるが、闘病記でも書こうかな。。。

心が晴れない闘病記4

ここでTV番組に出ていた医者の話をしてみよう。
妻は、第一印象からうさんくさいやじだと感じていたようだ。
というのも、「三ヶ月もすれば家事でもなんでも全部やってしまうくらいに元気になりますよ」なんて景気よく言っていました。自分は、「そうなんだ、薬を飲めば治るんだ」なんてかんじていましたけど。。。
妻に言わせれば、そんなはず無いだろうと、話し方も何か適当な感じ受けていたみたいだ。
初めに言われたのは、社会不安障害、パンフレットを渡されそっちでちょっと見ていてと待合室へ行き、二人で見ながら確かに当てはまることばかりが書いている。その間、慰謝はほかの患者を見て、まだ呼ばれると、どうですか?
私も飲んだこと有る薬ですが、これを飲めば世界が変わりますよと、処方されたくくりは
毎食後(デプロメール25・ドグマチール50・ナウゼリン10)夕食後(サインバルタカプセル20)寝る前(ルネスタ2) と言った感じでした。
この薬に、前の病院で処方されていたセルシンも一緒に飲むように言われた。

2週間は、同じ薬を飲み続けた。この頃は確かに調子が良かったが。

次にデプロメールを2錠に増やされた。
しばらくこの薬を続けていたのだが、朝早くが覚めたり、夕方には机に座って入れないくらい疲労感が出てきた。
その頃の「躁鬱病」じゃないかといわれ最終的に次の薬になった。

朝夕食後
ジプレキサ2,5 1錠
リーマス100 2錠
デパケン100 2錠
デプロメール75 2錠
夕食後
サインバルタカプセル30 1個
不安時の頓服
ソラナックス0,4
寝る前
メイラックス2
朝食後
ラミクタール25 1錠

以上の薬を処方され飲んでいた。
あれをやめてこれ飲んでなど受診する度にコロコロ変えられ訳わかんなくなった。
もう調子が悪すぎて、診断書を書いてもらい3週間仕事を休むことにした。

そんな頃、妻の病院で自分と同じように大量の薬で調子を悪くしている人の話をきいて、
早速、その病院を受信した。
前に、妻が妊娠中にかかっていた病院だったので何度か行ったことがあるので何の抵抗もなかった。
そこの医師に、「これはすごな~(((o(*゚▽゚*)o)))」と言われ、最終的にサインバルタカプセルとソラナックスにしぼった。

あのやぶ医者はなんだったんだろう?

心が晴れない闘病記3

子供が生まれたあとの八ヶ月ほどの休職中には、時間も取れたので自身していた病院のカウンセリングを受けることにしました。カウンセラーは、自分と同じかそれよりも年齢はしただったのではないでしょうか、今現在私は37歳です。
その当時は受診の度に(月に1~2回)受けていました。

その頃の症状は、まさに仕事やめようかどうしようかと悩んでいた時期でもあり、相談相手になったもらえた感じでした。カウンセリングってこんなもんかな?ってかんじでした。
仕事については、妻が生まれてきた子供のためにも、「自分たちが歯を食いしばってでも育てていかなければならないんじゃない!」という言葉が一番の私を決断させた一言でした。毎晩二人で泣きながら話し合っていた日々もありました。そんな中で私を決断させたこの一言は、自分にとても大きな一言になっったと今は思えます。
転職すれば、解決されるかとも思ったりもしていたのですがそうでもなく、どんな職場でもつきまとう自分の苦手な人間関係、何か開業し一人で仕事するにしてもそのような資格もなければ勇気もありませんでした。

今だに、辞めれる物なら辞めたいのは山々なのですが、逆に投資が湧いてきて病気になんか負けるものかと、絶対に今の仕事は、辞めないことを決意したのです。
だからこそ、今こうして、入院し治療に専念し、1年かかろうが2年かかろうが絶対に復職して一家の大黒柱として生きていくことを決めました。

その頃のカウンセリングでは、決断するのは、本人で、カウンセラーは、それをフォローアップするだけに感じました。実際そうでしょう。

カウンセリングは、休職中から転院するまで受けていました。確かに成果はいくらかあっらと思うのですが根本的なところまで踏み込めないまま、転院することになってしまったのです。

そのご、しばらく受けていなかったのですが入院前の病院で紹介してもらった個人のカウンセラーのカウンセリングお受けることにしました。初めて、カウンセリングを受けてから毎回、泣かせられっぱなしで、それはいいとして、この人だったら、自分の根本的な部分の障害を取り除いいてくれるのではないだろうかと、入院中も毎週通っています。

11月24日(入院46日目)

今日から日記を書くこと思った。
暇をモテにもで遊んでいる私にとっては、絶好の機会である。
三日坊主になるかもしれないけどよろしく!!

今日は一泊二日の自宅への外泊を終えて帰ってきて夕食っを終えてところです。

今、妻からの電話で小林製薬からなにか届いたとのことで、通販で妻に内緒で買った育毛剤、だったのでその場であけてもらったら 大爆笑!!!500円くらいのお試し品だったので買ってみた。
効果はどんなものかは、後でわかるでしょう。

今日は、後就寝前の薬を待つだけなので、闘病記の方を進めようかとも思っている。
(しかし、ブログをはじめたら、ちょこちょこやることあっていいや(((o(*゚▽゚*)o)))

心が晴れない闘病記2


そんなこんなで、その後いろんなことがあり現在私は入院中です。
入院生活は退屈そのもので、時間をもてにもてあそんでいます。
はっきり言って何もやることがない。日々の生活は、朝昼夜食後と寝る前には、厳重に管理された薬を渡され飲む。午後三時頃には、ラジ体操とウオーキング、週2回の風呂、週1回の寝具交換、週2回作業療法、それ以外は、全く持って自由な時間です。
外出は、ほぼ自由に可能だが、なかなかすんなりとできない。食事の時間があるのでゆっくりとしてもいれない。
一番長い時間が夕食から就寝までの時間で本を読んだりする趣味がない私にとっては、苦痛と言ったらありゃしない。
それが、ストレスのなって、またうつになってしまいそう。
今の症状は、はっきり言って夜の薬の調整が上手くいかないことと、その暇ストレスを除けば絶好調そのものである。
「仕事に行かなくていい」それだけで、私の場合は、うつ症状が軽減される。

そういえば、なぜ入院に至ったかをまだ紹介していなかったと思う。

それは10月中旬大量の薬を飲み丸一日以上、寝込んでしまったのである。
4年くらい前にも調子が悪くなり、その時は、身重の妻と相談もでき仕事にも行っていた。
子供も生まれ幸せな日々が待っていると思っていた。しかし、子供が生まれたのは、年度末の超忙しい時で生まれた日の夕方から出勤し徹夜仕事をしなければならない状況になり、妻も難産で二晩眠っていませんでした。

余談なんですが、出産に立ち会う予定だったのだが精根つきはて、もう少しで生まれるというときに倒れる寸前になりしゃがみこみ別室に運ばれてしまい、結局、出産シーンに立ち会うことはできませんでした。((((o(*゚▽゚*)o)))

その後も、仕事に行きたくない日々は続き(波はあるものの)雲行きが怪しくなってきたのです。
今度は、嵐の予感でした!!
前にも書いていますが、4年前からとは別の精神科を受信し続けていたのですが、とうとう大嵐がやってきたのです。
やっぱり仕事に行けなくなり7月から3月までの休職を取ることにないました。(今考えると育休とったようなものでした)
復職後は部署を変えてもらい仕事の内容もそれほど自分に支障が出るほどでもありませんでした。

次の年、まだ部署が変わり仕事はできていたのですが、自分に持たされた事業にプレッシャーを感じ「逆流性食道炎」になるは、肩こりは半端なく酷くなるし、疲れは取れなししと、医師には伝えてはいたのですが薬を増やすわけでもなく、しばらく飲み続けている「セルシン」のみでした。私は、飲んでも効いているのかどうかわからないくらいでした。
そうしたあたりに、TVの健康番組でまさに自分の症状にぴったり当てはまる「仮面うつ」についてやっていたのを両親が見ていたらしくその番組に出ていた先生に見てもらえば、と進められるまま受信したところ社会不安障害じゃないかということで多種類の薬を出されました。しかし症状は改善されたかに思えたが副作用かわからないが、朝早く目が覚めたり疲れが取れなかったりと、訳分からなくなっっていました。

そんな時、妻の通っている婦人科で心療内科もやっていてちょっとそのことを話したところ「ほかの人もそこの病院にかかって調子悪くしてうちに来て薬の調整している人がいる」らしいことを知りました。
早速、転院することにしました。それまでは、受信する度に薬を帰られたり躁鬱病だとか言われたり踏んだり蹴ったりだったんですが、薬を2種類にしぼり飲み始めたら調子は前よりは、改善され普通の人間になれた気がしみた。

このことは、年度末前後の出来事で調子が悪かったので病気休暇をとっていたのですが、人事異動の発表がありあまりのショッキングな内容でさらに休みを延長することになったのです。

5月には復職し、病院に通い続けていたのですが、自分の本来のうつの原因でもある 「仕事での連絡調整が苦手」ということを改善するまでにはいたりませんでした。

復帰してしばらく立ち去年も体調を悪くした事業が始まる時期になり、上司に「もう少し馬鹿話でもながらやっていかないと」みたいなことを言われ、つい切れてしまったのでしょう大量の薬を飲んで今に至るというわけ。
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oohaba0629

Author:oohaba0629
うつ病になった私のチョッとしたささやきです!!
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